古木のベンチ

 目の前に広がる茅色の水草は、強風に倒され、小川でバタ足をするように揺れている。
風が草を切り、水を叩く音に混じって、間延びした車のクラクションが響き、着陸前の飛行機は轟音を鳴らすところの近く、橋のうえにベンチがある。

 アイスランド大学の敷地内の湿地のことだ。
 研究目的で管理されているところだが、渡り鳥の産卵期を除いて開放されていて、回り道を望むときには都合のよい道が一本、その湿地を横断している。
 どの建物の入り口にも直通していない板張りの道、冬には凍結して安穏に歩けないそのほぼ橋の半ばに、おそらく流木であろう古木を切り分けたベンチがある。

 古木のベンチに座ったときに視界に入るのは、緑を落とした水草と小川を遊泳する鴨らしき鳥。
 奥の方にはレイキャヴィーク空港のフェンスと格納庫の一部が僅かに見え、滑走路で出来た小さな地平線は視野を越え、左に首を振れば、片側三車線の道路を跨ぐ歩道橋の一部も確認できる。

 このベンチは、座るためのベンチなのだろうか。
 手をぶら下げたままでいるのに耐えられず、手を揉んだり、後ろで組んだり、ポケットに入れたりするようなものではないのだろうか。
 空間を埋めるためのベンチではないのか。
 そう思うのは、自分が無為に過ごすことに未だ耐えられないでいるからかもしれない。

 このベンチ、外面はよい。
 座ってみないことには、なんて座り心地がよくないのかと驚き、空間を埋めるためのベンチなのかと疑問に思うこともなかったかもしれない。

 とある詩人の銅像が座るベンチもあるレイキャヴィークで、ベンチを目指して足を向けるところは、今のところ、ここ以外にはない。